新しい年の準備を考える時期になりました。そもそも鏡餅や門松を飾ったり、おせち料理や七草がゆを頂いたりという風習に当たり前のように則ってはいるものの、その由来や意味などを意外と知らない人は多いのでは?今回はそんなお正月をめぐる日本古来のしきたりに関する知識をご紹介します。
正月飾りは12月28日までに行い松の内が過ぎるまでにはずす
お正月とは健康や幸せをもたらしてくれる「年神様」を家の中に迎え入れるための行事です。ただし現代では神棚のない家庭が増えていることから「神事」という意識は薄れ、家族で楽しむ年中行事の一つとして捉えられるケースは少なくないと思います。それはクリスマスについても同じことが言えるかもしれません。そのため、もしかすると大晦日になって慌てて正月飾りを行うご家庭もあるのではないでしょうか。実は、それはご法度。「一夜飾り」と言われる間に合わせの準備として本来は避けるべきものなのです。それでは、お正月飾りはいつ行えば良いのでしょうか。答えは12月20日から28日の間。もし28日まで忘れていたら、29日ではなく30日に行います。29日は「苦」に通じるため忌み嫌われる日にちなのです。また、正月飾りをはずすのは1月7日までに行います。「正月」と言えば松の内を指し、それが過ぎたら飾りをはずすのが一般的。松の内は地域によって異なる場合もありますが1月7日とすることが多く、それが一つの目安になるでしょう。
門松は神様が訪れる入口、しめ縄は災いを防ぐお守り
玄関に門松を立てる意味をご存知でしょうか。常緑で神様が宿る木とされる松、まっすぐ節を伸ばし生命力あふれる竹、そして新春一番に花咲く梅で作られた門松は、年神様のより代、つまり家に訪れる際の目印で、入口の役割を担っているのです。また、しめ縄は災いをもたらすものを家に入れないためのお守りです。しめ縄で囲むと、そこは神域となり、魔除けの効力があるというわけです。スーパーなどで売られているお正月の絵飾りも、それと同じ意味合いがあります。
食材の一つひとつに祈りが込められたおせち料理
さて、次にお正月に頂く食べ物に関する知識です。まずお正月と言えば、おせち料理。季節の変わり目(=節)に神様にお供え物をした「節供」に由来し、昔は五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)に宮中で邪気を祓うための宴会が行われ、節供(せちく)という料理が供されました。人日の節句の正月料理が最も重要とされ、やがてそれが「おせち料理」となっていったという説があります。ルーツは平安時代にまでさかのぼるとも言われますが、どうやら現在のおせち料理に近い形になったのは江戸時代後半のようです。おせち料理には様々な食材が使われますが、それぞれにいわれがあります。いずれも豊かで健やかな新年を願うもの。一例を挙げると、昆布巻は「養老昆布」=「喜ぶ」にかけています。黄金色の栗きんとんには裕福な一年になりますようにという願い、長いひげと曲がった腰の海老には長寿の祈りが込められています。数の子はにしん(=二親)からたくさんの子が出ることから、子孫繁栄を願うものです。また、1月7日の朝に食べる七草がゆは、正月の豪勢な料理やお酒で弱った胃腸を野草の効力でいたわるという現実的な意味合いと同時に、1年間の無病息災の祈りが込められています。
年神様にお供えした餅を砕いて頂く鏡開き
お正月に飾るもので忘れてはならないのが鏡餅です。もともと稲の霊が宿っていると言われる餅を、橙や干し柿、裏白(うらじろ)、昆布などで飾りますが、こちらも一つひとつに意味があります。長い期間にわたって実が木に付いたままの橙には、家が「代々」栄えるようにという願いが込められ、干し柿は「嘉来(かき)」という「幸せが来る」という言葉にかけています。また、表が緑、裏が白い植物である裏白は、白髪になるまでという長寿の意味があるようです。そして、昆布はおせち料理と同じく「よろこぶ」にかけたものです。年神様へのお供え物として飾る鏡餅ですが、松の内が開けた1月11日に手で割るか、金づちで叩いて砕き、おしるこや雑煮に入れたり、油で揚げたりして頂きます。それが、いわゆる「鏡開き」です。こちらは、武家社会の風習が始まりと言われています。
お年玉はお金ではなくもともとは鏡餅のお下がり
子どもたちにとってお正月は、大人からお年玉をもらえる嬉しい時期。このお年玉、実は鏡餅に関係しています。年神様へのお供え物である鏡餅を「御歳魂(おとしだま)」として子どもに与えたことが由来とされているのです。それを知ってしまうと「現金をあげるのはどうなんだろう?」とつい首をかしげてしまいますよね。このように様々なしきたりが生まれた背景やそこに込められた想いや意味合いを知ったうえで新年を迎えると、お正月が今まで以上にありがたいものに感じてしまいます。くれぐれも準備はお早めに。